理事長の本音

1.いのちいとおし(1)

一医師が見るいのちの諸相   2018年10月21日

《  与えられたいのちをどう生きるか  》

1)いのちに直面している日々

半世紀近く内科医として患者さんといういのちに向き合ってきた私の最大の関心は、いのちとは何か、ということです。病院は、いのちの誕生から死までを扱う唯一の場であり、私たち医療従事者は否応なしに、日々刻々患者さんのいのちに直面していますから、絶えずいのちについて感じさせられ、考えさせられています。

人の誕生は誰もが新たないのちの息吹を素直に喜ぶ瞬間です。重い病気に罹り、辛い症状に苦しんでいれば、自分のいのちの危機を感じざるを得ません。死に至るかもしれない病気が回復して来たら、いのちのありがたさをしみじみ実感することでしょう。人を見取る度に、今まで一所懸命生きてきたいのちの歴史の素晴らしさに感動するとともに、愛する人々とその人を永別せしめる死を憎まざるを得ません。私にとって臨終の場ほど神聖な時間と空間はありません。いのちに対極する死とは何なのでしょう。

改めて問います。いのちって、何でしょうか。

2)いのちの不思議                               

生まれたてで元気に泣いている赤ちゃんはいのちを連想させますが、不思議なことに、1年前にはこのいのちはなかったのです。精子と卵子が受精し、細胞分裂が始まり、胎児がゆっくりと成長し、極小の心臓が動き出し、手足ができ、脳が大きくなり、その他あらゆる器官が出来上がり、遂に誕生に至り、成長し、大人になっていく。この至極当然の過程も、全く奇跡的なことです。

人間の体はどうしてこのようにうまくできているのでしょうか。いのちはなぜ成長するのでしょうか。1個の細胞を無数に増加させ号令に従うかのように正確に体を創っていく司令塔は何でしょうか。いのちの根源は一体何なのでしょうか。

医師として患者さんを診ていて毎日驚くのは、人間の生命力、いのちのすさまじさです。転んで膝をすりむいても、勝手に出血は止まり、肉芽が盛り上がり、元通りになります。インフルエンザにかかっても、大抵の人は1週間もすれば自然に治ります。末期的ながんでも、時に完治するのは、いのちのおかげと言えます。言うまでもなく、我々の体の自己治癒力は、生命力あるいはいのちと言い換えても良いでしょう。私たちは病気にかからないよう、罹っても治るよう、実にうまく設計されているのです。生老病死はいのちの変遷です。いのちが良好なら健康に恵まれ、いのちが低下すれば、病気にかかります。いのちが低下したままならば、どんな最先端医療を駆使しても、病気は治らず、低下したいのちが向上していけば、病気は次第によくなっていくという法則を、私は長年の臨床経験上感じさせられています。

3)いのちは精密の極致で美しい

37兆ほどの細胞で出来ている私たちの体は、あらゆる部位を取ってみても実に精巧にできていることに驚かされます。しかも多少の破損には自動修復機能があります。

目の構造を見てみましょう。情報は水晶体から入り、網膜で像を結びます。網膜には1億個以上の光覚細胞があります。網膜で複雑に変換された情報が視神経を通して脳に運ばれ、視覚を統合する分野で瞬時に処理され、人は正確な情報を得ます。最新のテレビカメラでも、足下にも及ばない色彩と精密さに圧倒されます。

聴覚についても考えてみましょう。鼓膜は10億分の1センチのかすかな振動を感じとることが出来ます。振動は耳小骨(ツチ骨・キヌタ骨・アブミ骨)を経て22倍のエネルギーとなり、内耳のリンパ液に伝わり、各種の繊毛が微妙に震えることで、振動が音情報に正確に変換され、聴覚神経を経て、脳でどんな音か判定されます。どんな微妙な音も立体的に瞬時に聞き分ける能力のある聴覚は驚嘆ものです。

4)いのちはどこから来て、どこに行くのか

ゴーギャン晩年の傑作の絵「われわれはどこから来たのか?われわれは何者なのか?われわれはどこに行くのか?」を都内の展示場に見に行ったことがあります。何とも説明不能の決して忘れられない特異な絵です。人生を通しての彼の根源的な問いに対して、きちんと答えられる人は誰もいません。科学はこの重大な質問に沈黙を守るのみです。

いのちは偶然の産物だから、人生に意味はなく、虚無的に生きて当然だ、と考えることは可能です。しかし、人のために生きるいのちは美しいと感じませんか。本来いのちは美しい、品位あるものだと私は思います。

5)大宇宙の中のたった一つのいのちはいとおしい

あなたは大宇宙の中のたった一つの生命体であり、いのちです。家族や友人の一人一人もいのちであり、世は多数のいのちによって構成されています。そしてお互い支え合っています。だからこそ、自分だけでなく人のいのちも大切にすべきなのです。利己的な生き方は、いのちの法則に反し、病気を招きやすいことがわかっています。

この貴重ないのちは、残念ながら、いつ取り去られるか分かりません。自分がいつ死ぬか、わかる人はいません。それにもかかわらず、仏のモラリスト、ラ・ロシュフコーが「太陽も死も直視できない」と言ったように、人は死を直視したがりません。いのちがはかないからこそ、自分のいのちが尽きることについて、日頃から準備をしておくべきです。いのちがはかないからこそ、いとおしいのです。

6)いのちいとおし

いのちは自分が創ったのでなく与えられたものです。私たちは勝手に生きているのでなく、生かされているのです。いのちは奇跡そのものです。与えられている自分といういのちに感動し感謝して、他のいのちと支え合いながら、美しく一瞬一瞬を生きることが悔いのない人生だと私は確信しています。そして「いのちいとおし」の生き方が、より健康的で幸せな人生を送りやすいことを、患者さんを通して教えられてきました。

やはり、いのちはいとおしいのです。